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|| 化粧品資料目次 || |
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■戦国時代を経て1400年代(江戸時代)になると世相も落ち着いて風俗にも著しい変化が起こります。その一つが化粧。現在のものに比べると実に幼稚なものでしたが、それ以前からある白粉、紅、まゆ墨に加えて化粧水、ヘチマ水、洗粉、フケ取り香油、歯磨き粉など新しい化粧品の製造も盛んになります。しかし、当時の化粧品の使用層は宮中、役者、芸妓、そのほか客商売の人たちなどに限られていました。普段、家庭内にいる一般の女性には化粧する必要性がなかったためでもあります。 ■1800年代後半(明治時代)になってもしばらくは一般の女性が化粧をするということはあまりありませんでした。しかし、この頃になると海外からの商品や技術が入ってくるようになり、化粧品製造業者が増えてきて、品質も向上し、さらに化粧品の種類も多くなってきました。現在の化粧品のトップメーカー、資生堂が72年(明治5年)に創業しています。また、83年(明治11年)には「レート」の商標で第2次世界大戦前までトップメーカーの座を守った平尾賛平商店(現在は存在しない)、1905年(明治33年)には「クラブ」で平尾賛平商店とトップを争った中山太陽堂(現在はクラブコスメチックス)といった大手メーカーが創業しました。「東のレート、西のクラブ」と呼ばれて化粧品業界の勢力を二分しました。 ■この時代の画期的な商品には無鉛白粉があります。長谷部仲彦氏が発明して伊東胡蝶園(後のパピリオ、現在はピアス)が製造販売した「御園白粉」です。これはそれまで白粉をつけた肌に汗をかくと鉛粉が皮膚に吸収され鉛中毒を起こすという、白粉の主原料であった鉛白を使わない白粉で、これ以後、各メーカーが無鉛白粉を発売して含鉛白粉は市場から急速に消えていきます(製造が禁止されたのは1930年=昭和5年で販売が禁止されたのは34年=昭和9年)。製造業者が増えてくれば価格、サービス競争も激しくなります。 ■一方、宣伝合戦もし烈でした。新聞や女性誌の広告は化粧品と医薬品で占められることもしばしばでした。資生堂が現在の制度品システムの原型となった「連鎖店制度」(現在のチェイン店制度)を採用して小売店の系列化を図ったのも特筆できることです。当時もその後戦後しばらくたつまで化粧品業界は一般品が主流でしたが、価格競争に明け暮れていた小売店からはこうした制度は徐々にうけいれらていきます。しかし、第2次大戦中は統制経済によって原料調達ができず、さらに空襲で工場が焼かれたこともあり業界の活動も下火になりました。
■化粧品の出荷金額は1965年(昭和45年)に1000億円を突破、10年後の75年にはその5倍に、さらに10年後の85年には65年の10倍にあたる1兆円を突破するというように成長を遂げてきました。一方でこの間、化粧品公害訴訟(その後和解)や一部の訪問販売メーカーによるマルチ商法、キャッチセール(訪問販売に関する法律が施行され規制が強化されました)などの社会問題も起こりました。さらに流通のクロス参入も相次ぎ、一方で再販制度が適用されなくなり、全成分表示が実施されるようになるなど、新しい課題に直面している業界です。メーカー間の成長格差も大きくなり、さらにグローバル化の波は化粧品業界にも早くから押し寄せており、大手メーカーですら買収するか、買収されるか、という大きなうねりの中で進路を見極めている状況です。
■制度品システムそのものはコーナー制度、美容部員制度、消費者組織が大きな特徴です。コーナー制度は小売店のスペースの一部をメーカーが占有するもので、立地条件や規模に適応した、効率的な陳列や販売、美容相談を行うための制度です。装飾物や販促ツールなどの費用の一部をメーカーが負担したりします。美容部員制度はそれぞれのメーカーごとに設けられたコーナーで消費者に対して美容相談に応じたり、小売店に対しても新しい商品や技術指導をするとされています。消費者組織もメーカーによって呼び方が異なります。資生堂は「花椿会」、カネボウは「ベル会」、コーセーは「カトレア会」、マックスファクターは「マックスファクタークラブ」、アルビオンは「孔雀会」などとなっています。消費者が小売店店頭でこうした会員として登録しておくと、年間の購入金額に応じて記念品がもらえたり会員誌が毎月もらえるようになっています。 ■このシステムを維持していくには多額の費用がかかるため、化粧品メーカーの中でもわずかしかありません。小売店頭で直接、消費者に接しながら体面でカウンセリングしながら販売することから、高額品の販売に向いているといわれています。しかし最近は、販売チャネルである化粧品店の減少傾向に歯止めがかからないため、先細りを心配する見方もあります。そこでこれらのメーカーのうち大半は低価化粧品を一般品流通やセルフ方式で販売する商品を別会社を設立して対応しています。一方でカウンセリング販売を基本にして少数の化粧品店でのみ販売する「専門店専用商品」といわれるブランドも販売しています。 ■主なメーカー ・資生堂 ・カネボウ ・コーセー ・花王(ソフィーナ) ・マックスファクター ・アルビオン ・レブロン [ほぼ制度品的名方式を採用しているメーカー](これらのメーカーは資本関係のない代理店を経由しているケースもありますが、売り上げの多くを系列の支店、営業所が占めています) ・香椎化学工業(カシー化粧品) ・ヒノキ新薬 ・ハリウッド ・三香堂(オパール化粧品)
■日本の化粧品メーカーの中では、一般品メーカーが最も古い歴史をもっています。現存するメーカーで一番、創業が古いのが1615年(元和元年)創業の柳屋本店(当時は紅やと称していました)。次いで伊勢屋半右衛門商店(現在の伊勢半でキスミーコスメチックスの親会社)が1790年(寛政2年)。以下天野源七商店(一度倒産したが現在のヘチマコロンとして再建)が1882年(明治14年)、桃谷順天館が1885年(明治18年)、山発商店(後の山発産業で現在のヘンケルライオンコスメティックス)が1888年(明治21年)で、制度品メーカーや方も販売メーカーのほとんどが戦後の創業であるのに対して、戦前に創業したところが多いのが特徴です。 ■一般品メーカーは戦後の制度品全盛時代が訪れるまでは化粧品業界をリードした。「東のレート、西のクラブ」と形容された平尾賛平商店も中山太陽堂も一般品メーカーでした。しかし、メーカー数も多く価格競争の多発から、倒産するところも数多く出ました。有名女優を専属モデルに起用して企業のイメージアップを図るようになったのも、これら一般品メーカーでした。戦後、価格競争を避けるため制度品ブランドを作ったり、すべてを切り替えたりしましたが、先行する本家の制度品メーカーのように小売店を系列化できなかったため、結局、一般品メーカーの制度品(直取り引き)は成功しませんでした。もっぱら販売先は、まだ制度品メーカーとの取り引きが十分にできないスーパーなどの量販店などです。 ■ところが、一般品にも好機が訪れます。好機とは化粧品に対する消費者の価値観の変化(低価格志向)、販売チャネルの多様化で低価格、自然は化粧品に対するニーズの高まりなどです。一方で化粧品業界の販売ウエートも量販店やコンビニエンスストア、ドラッグストアの比重が高まり始め、必然的に一般品メーカー品が注目されようになりました。制度品や訪問販売の不振を横目に成長していますが、背景には制度品メーカーや訪問販売メーカーの参入があげられます。もともと特定商品の専業が多く資本力が小さい一般品メーカーには、厳しい時代が続いていることには変わりがありません。 ■主なメーカー ・エフティ資生堂 ・カネボウホームプロダクツ販売 ・花王 ・ライオン ・日本リーバ ・牛乳石鹸共進社 ・コーセーコスメポート ・マンダム ・キスミーコスメチックス ・桃谷順天館 ・ウテナ ・ジュジュ化粧品 ・クラブコスメチックス ・ピアス ・ダリヤ ・加美乃素本舗 ・柳屋本店 ・黒龍堂 ・黒ばら本舗ほか
■販売組織には2通りあります。ひとつは、販売会社、支店、営業所などがメーカーによって直接、運営される方式で、この組織の場合はセールスレディーの管理が図りやすく、他社にスカウトされることが少ないという利点があります。もうひとつは、販売会社、支店までがメーカーの直営で、セールスレディーを擁する営業所以下はメーカーと資本関係がない独立した事業者として運営される方式。訪問販売メーカーの多くは、小資本で事業が行えることからこの方式を採用しています。この方式の場合は、管理が困難であることからセールスレディーを含め営業所ごとスカウトされるということも起こります。 ■訪問販売システムを採用しているメーカーの中には、強引な販売方法や禁止されているマルチ商法と紛らわしい販売を行うところがあって、社会問題となったため1976年(昭和51年)消費者の保護を目的にクーリングオフ制度などが盛られた「訪問販売等に関する法律」が施行されました。さらに96年(平成7年)の改正ではクーリングオフ期間の延長や禁止行為対象者の拡大など規制が強化されました。女性の社会進出で在宅率の低下や規制強化、さらに他の流通との競争激化もあって、化粧品全体に占める訪問販売流通のシェアは下がってきています。 ■こうしたことから訪問販売メーカーも店頭販売(一般品流通)や通信販売に積極的に進出しています。もともと日本メナード化粧品にはグループ会社として一般品メーカーのダリヤがありましたが、訪問販売ひと筋であったノエビアが1986年(昭和61年)サナで、ポーラ化粧品本舗が93年(平成4年)にポーラデイリーコスメを設立して一般品流通で店頭販売に参入、さらに一般品メーカーから訪問販売に切り替えていたナリス化粧品もこれより前の88年(昭和63年)に店頭販売に再参入しています。一方、これらのメーカーはじめ他の訪問販売メーカーは新たに通信販売のチャネルにも進出しています。 ■主なメーカー ・ポーラ化粧品本舗 ・日本メナード化粧品 ・ノエビア ・エイボンプロダクツ(ネットワーク販売) ・ニュースキンジャパン(同) ・アイスター商事 ・シャンソン化粧品本舗 ・オッペン化粧品 ・アイビー化粧品 ・アルソア本社 ・ナリス化粧品 ・御木本製薬 ・シーボン ・日本ジョセフィン社 ・明化産業(クレオパトラ) ・イオン化粧品ほか
■成長著しい流通であることから、制度品、一般品、訪問販売といった他の流通からの参入も急速に進んでいます。訪問販売メーカーではポーラ化粧品本舗(オルビス)、ノエビア(シンプス)、ナリス化粧品(アネスティ)、シーボン(聖樹)、一般品メーカーではマンダム(システムE/O)、桃谷順天館(イノーヴァ)、そして制度品メーカーでも資生堂(子会社のフルキャストで「ユーシア」)などが参入しています。 ■一方、他の流通からの通販システムへの参入に対して、ファンケル、ディーエイチシーなどの既存通販メーカーは逆に店頭販売へ参入しています。ファンケルはデパートやスーパーを手始めにコンビニエンスストアのローソンでの販売も行っていて、一方のディーエイチシーはセブン−イレブンに進出しています。これらは通信販売の告知手段を通じて知名度が高くなってきたことが店頭販売への進出のがひとつの背景です。とくにこれらのメーカーでは店頭販売は新しい市場で、一方で通信販売流通に各社が相次いで参入してきたことから、この市場そのものの競争は激しくなっていることから、今後は店頭販売部門の売上げが通信販売を上回る可能性もあるほどです。この他の通販メーカーも店頭販売を手がけています。 ■主なメーカー ・ファンケル ・ディーエイチシー ・再春館製薬 ・ヴァーナル ・オルビス(ポーラ化粧品本舗) ・イーエスエス ・聖樹(シーボン) ・シンプス(ノエビア) ・アネスティ(ナリス化粧品) ・ユーシア(資生堂の子会社フルキャスト) ・システムE/O(マンダム) ・イノーヴァ(桃谷順天館)ほか
■また、この流通にはロレアル(フランス)、ウエラ(ドイツ)などの大手外資系メーカーがいくつか早くから参入していますが、これらのメーカーはヘアケア専業メーカーとしてのノウハウが豊富なことや日本の大手化粧品メーカーの参入が遅かったこともあり、とくに美容院ルートには強みを発揮しています。 ■主なメーカー ・ウエラジャパン ・日本ロレアル ・資生堂 ・ホーユー ・ヘンケルライオンコスメティックス(旧山発産業) ・花王 ・アリミノ ・ミルボン ・セブンツーセブン ・メロス化学 ・タカラベルモントほか
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